とてもプライベートな悩みと解決①
ほかの人が通っている横で、私だけが通れない、そんな壁。透明でむにゅっとしてて、じんわりとしか溶け込んでいかず、ついに面倒になり別の道に切り替えてしまう。そこには結局、私の奥底のクリティカルポイントがあって、禁忌のものとして脳が無意識に思考から逃げてしまう。そんな状態だったということに今日気づくことができた。
2段階目の変異がありそうだということは何年前かから感じていたけれど、それがなんであるかはわからなかった。心の片隅で考え続けてきて、今日やっとわかった。このブログを始めるきっかけの出来事がプロフィールに書いた“第二誕生日”の2006年12月3日。その日私は予備校の模試があって、それに向かう途中、細い路地の奥に見える太陽と光のすじがまぶしくて、いつものように考え事をしながら予備校に向かっていた。
ほどなく少し開けた場所に出て、駐車場の緑やマンションが立ち並ぶ区域に差し掛かった時に私はこうといを発した。
「もっとも確実で、絶対に間違いのない、不変の真実はどれだろう」
マンションは消えて町並みは変わる。人間がいない時代になれば平坦な場所になる。にぎやかに前を歩くこの人たちは年を取り消えていく。道も荒れ果て消える。あれも消えるこれも全部消える。せいぜい、この大気とこのへんにある草木が残るぐらいかなって、思った。空と草木だけが真実なら、この場の真実は何かと思ってあたりを見渡すと、世界が生まれて初めてと感じるほど鮮明に見えた。結局見えすぎて気持ち悪くなってしまい、トイレで休みつつ考え事をした。
この前の時点から、勉強方法についてあれこれ考えていたからそうなったんだけれども、完全に目が覚めた感覚になった私は、この出来事を“一つめの覚醒”と位置付けた。それまでぼんやり世界を見ていたのが目を開いて世界を見るようになった。特に左目の感覚が顕著に変わったので、その経緯から、今に至る最終判断として“神の左目”という言葉で捉え、とても大切なものとして自分の中で位置づけた。シニフィアンとシニフィエという発想にはまっていたころで、概念には名をつけなければならないという習慣があったため自然と名はついた。
・そんな個人的な話を今書くわけ
・今まで書けなかったのが自分の中の深い領域のとらわれにあったという話
続きを近いうちに書こうと思う。